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from: クマドンさん
2020/06/20 07:14:01
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常に初心に還る。日々初心で生きる。
一週間の勤務が終わった。
正直、とても疲れている。
それに寝不足なのか、今でも眠たい。
それで本日は、休養日とした。
stayhomeだな。
自転車で向かうのは、少しでも運動をしたいからだ。
スピードを上げると13分で到着する。
止まって支度していると汗が出て来る。
それから、エプロンとマスクと黄色いタオルで鉢巻きをする。
これは私の現役時代のトレーダマークだ。
黄色い鉢巻きが、遠くから私がそこに居るのサインとなった。
名札をつけて、その日の仕事がスタートする。
これが午後1時だ。
20錠位あるだろうか、畳の部屋に掃除機をかける。
長机を立てて、そこを丁寧に掃除する。
まぁ、手早くとは行かないが、丁寧な仕事を心掛ける。
この時、自分を無にする。
何も考えない。
掃除機の音だけが聴こえる。
次は、長机の上のアルコール消毒だ。
キッチンタオルにアルコールを沁みこませ、
それを使って子どもたちが使う長机を丁寧に拭く。
やり方がある。
一方通行。同じタオルの面は使わない。裏返しにしてからまた拭く。
そのやり方を教えてもらい、
他の人がやっている様子から学ぶ。
いつもいつもこうやって、一つずつ仕事を覚える日々だった。
30代~60代の女性7名がスタッフだった。
日によって人数が違うが、女性たちのここは職場だ。
次男の親友の26歳の青年が勤めていたのには驚いたが、
その女性たちの中に、63歳になろうとするクマさんのような新人男性だ。
みんな何だか違和感ありと思っていると感ずる日々だ。
だから、何も言わない。余計なことは言わないことにした。
ダジャレなんかもっての他だ。
ふざけた人、不真面目な人は、ここにはいらないと思われる。
だから、静かだ。黙っている。本当に黙々と仕事する。
新人の心得の1つに、「仕事は訊く」がある。
次にどんな仕事をしたらよいのか、先輩に訊く。
「次、何をやりましょうか。」
そうすると、「あれをやってください」「これを手伝ってください」と、
本当に親切に、優しく教えてもらう。
その応対がとてもとても新人には在り難いものだった。
来たばかりの人には、全くわけが分からないことだらけだった。
その困り感を察して、仕事を指示してくれる人がいると、
こんな年寄りの新人は助かるものだ。
次の新人心得の2は、「余計な進言はしない」ということだ。
何も分からないのに、
「あれは、こうしたらよい」「あれは、こうしたらどうだろう」と、
あまり仕事の内容や環境整備について口を出さないことだった。
来たばかりなのに、そんなことを新人に言われたら、
やっぱり言われた方もカチンと来るからだ。
だから、意見を求められたときだけ話をする。
確かに、いろいろな改善点はあるようだが、
そのことは頭の片隅に留めておくだけにする。
または、先輩(同級生)の主任にそっと話をする。
ただ、それだけ。
新人心得その3は、「黙って仕事をする」ことだ。
まだ知り合って間がない人たちばかりの中での仕事だった。
あちらからすれば、元教員の私を、
何ともどう扱ってよいの困っているとは感じている。
年配であるし、男性でもあるし、
そんな中で、私がおしゃべりして、
ダジャレなんか言って本性を曝したら、
やっぱり「先生ってね・・・・」と、
世の中の人の目は厳しいものだ。
だから、ここでは、別人になる。
なんたって次男の親友が、私の仕事の指導者なのだ。
新人心得その4は、「意味を考えて仕事する」だな。
20名から30名の1年生と2年生だ。
「おじちゃん、お魚屋さん?たこ焼き屋さん?」
「バラ肉先生。」
子どもたちの発想はかくも自由奔放そのものだ。
それは無邪気のなせる業。
そして、私のことをどんな大人なのかと試すため。
子どもたちが無意識にしているいたずらには、
やっぱりそれなりに意味がある。
だから、「どんな意味がそこにはあるのか」をいつも「問う」て子どもに向かう。
新人心得その5は、「信頼してもらう」ということだ。
人は、「情動」だと、ある日、はっと気付いた。
その空気感。その相手に与える感じ、印象。その人としての在り方。
それは、出会った瞬間に、さっと相手の情感に伝わるものだ。
ざわっとする。ほっとする。しっくりする。どきっとする。ぎゅっとする。
「おのまとべ」かなぁ。
とにかく言葉にならない何かが、瞬時に相手の身体に伝わるものだ。
身体は全身でそれを受け止め、瞬時に反応する。
まず、この「情動」がある。
その後に、「感情」が生まれる。その後に「認識」が生まれる。
そして、それを「言葉」にして、自己確認が起こる。
単純に言えば、「好き」か「嫌いか」、「どちらてせもないか」かな。
だから、出会ったら「好き」と感じられる私であらねばならないのである。
「情動」は、嘘をつかない。嘘をつけない。
新人心得その6は、「初心に還る」だ。
62歳と10カ月。白髪のたこ焼き屋のこの親父だ。
それでも、この初めての仕事に対しては、全くの素人・初心者。
全部の仕事の流れと内容とは、教えてもらわなくては、ままならない。
全くの新人そのもの。
そこに、還る。
還るという言葉を使ったのには意味がある。
これは、循環運動の起点であり終点なんだということだ。
原点が一つあるとする。
そこから大きな円環運動が行われた。
そして、40年かけて大きな円を描いたとする。
そして、その終点にたどり着いた。
そして、そこを起点にして、また新たなる円環運動の旅に出た。
だから、自分を無にする。終わりの始まり。無からの始まり。
新人心得その7は、「感じたまま動く」ことだ。
さっと動く。何も考えずに無心に動く。
「あれは私の仕事ではない」「あれはいいかな」「まぁ、あの人の仕事だから」
ではなく、「あっ、あれをやったらいいな」と感じたら、
「嫌だなあ」「またか・・・」とは、絶対に想わない。
もし、そうした妄想が生まれたら、それを退治する。
そして、感情をぶらさず、イライラもせずに、
さっとその仕事に率先して取り組んで行く。
そうすると気持ちよくなるものだった。
仕事には、いちいち余計な感情は入れないことだ。
だから、感じたままにこの身体が動けば、気持ちよく働ける。
だから、「これをやってください」と言われたら、「はい」で身体を動かす。
そのことの修業だと、私は思っている。
つまり、私は、こうして我が庭での「林住期」から、
また少しだけ世の中に出て、社会参加し、
「家住期」に形だけ逆戻りしたように見えるこの生活の本当の「意味」は、
もう一度、人の中に入って体験を通しての生き方を修業することだった。
それは、経験知を少しだけもった私が、
その分かった気持ちよさを、人と共に仕事する中で、
どう実践できるのかの試練でもあった。
ここに記した新人心得を、自分の身体と出来れば、
それはとてもありがたい生き方を実地で学ぶことになると思う。
人としてどう生きるか。
人として気持ちよく生きることができるか。
それは、この部屋で頭だけで考えていても、
私の身体には身に付かないと思っている。
ならば、実地において、多くの人たちの中で、子どもたちの中で、
私がどんな人として生きて居られるのか、
その確認と反省と改善と実験が、この保父さんとしての私だった。
人は、やっぱり人の中で鍛えられる。育てられる。
私がもし、この仕事をしなかったら、気付かなかったことばかりだった。
まず、身体を動かす。身体を現場に置く。実地を体験する。
感じたまま、それを学ぶ。生き方とする。
そんな初心者の心得が、今の私の、日々の目標だ。
できたかできていないか、評価するのは「わたし」だった。
本当に身体が疲労感を訴えている。
どんよりと身体が重い。
あるフィジカルトレーナーの言葉だ。
「筋肉は、鍛えられたかどうかは、その疲れ方でよく分かる」そうだった。
この疲れは、確かに私が日々、人としての私を鍛えられている証なんだな。
仕事場を、道場と考える。
仕事一つ一つは、私を人として鍛えてくれるダンベルだ。
そう想うと、それなりに仕事への励みとはり合いとなるものだ。
お金のためだけでない。
仕事とは、本来そういうものではないだろうか。
「常に初心に還る」それは、世阿弥の生き方でもあったな。-
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