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  • from: クマドンさん

    2020年07月21日 09時18分40秒

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    身体が気持ちよく生きるとは

    小千谷のSさんと、今の電話での話題は、森についてだった。
    20年前に植えた樹々たちが、今では本当に大きな樹木になって育っている。
    その姿は圧倒される迫力だった。
    その森で、子どもたちや生徒たちが遊ぶ森になってもらいたい。
    地域のお年寄りたちが茶飲み話できる森になってもらいたい。
    これからまた20年、30年とかかわった人たちを見守ってくれる森になってもらいたい。
    そして、その樹齢40年、50年の大木たちから人が何かを学べる森になってもらいたい。

    83歳のSさんの夢は、20年後、30年後に続いている夢だった。
    私は、そうした長いスパンの夢を描ける、Sさんのことが羨ましく感じている。
    Sさんには、その夢を描き、実現できるフィールドがあるからだ。
    その20年間育った森があることで、
    これからどんなに多様な可能性があることかと考えると、
    私でもわくわくとしてしまう。

    彼が、この森と共に再生できたのは、
    彼をこれまで縛っていた既成概念から自由になったおかげでもあった。
    「こうしなければならない」「目的はこうだ」と、決められた概念があり、
    その概念から抜け出せない自分がいたからだ。
    しかし、毎朝の夜中からの信濃川辺りの四足歩行の行脚で、
    彼の感性は、目覚め、洗われ、新たにされた。
    「何だ、こんなに美しく、豊かな自然のど真ん中で、私は暮らしていたのか」
    そんな驚きと、喜びと、感動だった。

    その時、「気持ちいい」を身体で感じた。
    実は、この身体の気持ちよさが、大切な生きるための感覚でもあるのだった。
    私も、身体が気持ちよく生きようとしている。
    彼も、身体の気持ちよさを喜びをもって感じて生きている。
    つまり、新潟市と小千谷市とで離れて暮らす私たちは、
    同じ身体の気持ちよさを、大事大事にして生きているということだった。

    この身体の気持ちよさの前には、概念は存在しない。
    ただ、目の前の自然や風景に感ずるままだ。
    水の音を聴き、鳥の声を聴く。
    風の音を聴き、その身体を全身で感ずる。
    その時、身体の中で蘇るものがある。
    それは、自分自身がずっと忘れていた、何かだ。
    それを感ずる。それと出会う。
    それは、ずっとずっと私の身体にあったものだ。
    しかし、それに私は、気付かないで生きて来た。
    「何だ、ここにあったではないか」の驚きと、感動だな。

    越路町の彼女は、ずっとずっとその嫁ぎ先の自然の中で生きていた。
    しかし、田んぼと畑と小さな丘とに囲まれたその場所を、
    「田舎」だと感じていたらしい。
    「何も、ない」と、思っていたらしい。
    ところが、一途に続けて来た仕事を退職した。
    彼女は、そうやってゆっくりと休むことや、自分である時間を、
    これまで、持ったことが無いほど、仕事にも家事にも子育てにも、
    忙しすぎる日々であった。

    私の同級生だ。
    私が、花や野菜を育てていることを知っていた。
    そして、周りを見たら、姑さんたちが野菜を育てていた畑があった。
    しかし、しばらく耕されていなかった畑はの土は固く、滋味のない土となっていた。
    そこで、彼女が、奮起した。
    「よっしゃ、野菜をつくるぞ。農家の姉様になってやるぞ」と。
    そして、プランタでキュウリやナスやミニトマトを育て始めた。

    すると、景色が変わった。
    何と素敵な土地で、私は生きて来たことかの驚きと、感動だった。
    それは、Sさんと同じだと、私はいつも感じていた。
    それは、自然の命と出会うことで、
    自分も生かされていることと、
    自分のその命の1つなんだと気付いたからだと私は、思う。

    また、難しいことを言っていると、彼女には笑われそうだが、
    私にとって、Sさんの驚きと感動と、彼女の驚きと感動とは、
    同じようなものではないのかと、いうことだった。
    御二人からは、またまた勝手なことを言っていると叱られるかもしれないが、
    この気付きは、本当の自分自身と出会った喜びであり、感動ではないだろうか。

    「何だ、ここにあったのか」という、何か騙されていたような感じと、発見。
    Sさんにとっては、あの大河信濃川の流れであり、大曲の崖でもあった。
    彼女にとっては、その畑で在あり、そこに育てている野菜たちだった。
    そしたら、素敵な便りも彼女からメールで届いた。

    「ホタルがとてもきれいですよ」
    そうなんだ、越路町の朝日酒造はホタルの生息する田んぼの米で酒を造っている。
    その幼虫を育てて放流したり、
    周りの自然環境を保全する運動に取り組んでいる会社だ。
    「丘から見える日本海の夕日がとてもとてもきれいです」
    ずっとずっとその土地に暮らしていながら、その夕日の美しさに初めて出会えたその感動。

    そして、その感動を味わっているのは、
    きっと、その身体全身ではないだろうか。

    生きている命。
    育つ命の力強さ。
    自然がもつ多様な色と風合い。
    そして、黄昏。命の終わり。
    そんな自然のあるがままに人が触れることで、
    頭で考えていた概念が、いつの間にか消え、
    感じたままに、気持ちよく一日を生きたくなっていく。

    私は、小千谷の自然と、越路町の自然とに囲まれて生活している、
    二人のことを、いつもいつも羨ましく感じている。
    私は、街中の住宅地と工場地での生活だ。
    森も無い。畑も田んぼも、ホタルもいない。
    ただ、小さな庭があるだけだ。
    しかし、今、午前中は、縁側からその庭を眺め、
    時間を作っては、花や野菜の世話をして、樹木の剪定に没頭している。
    その時、二人のことをよく思う。

    だから、自然と触れ合う体験は、とてもとても大事なことなんだという話だ。

    東京の桧原村で林業のベンチャー企業をしている青年の話だった。
    サラリーマンから、自然の中での生活に憧れて林業に転職した。
    しかし、日当月給のこの仕事では、長く生活できないと感じた。
    そこで、仲間4人で、小さな会社を設立して、元受・月給制の会社にした。
    しかし、林業は衰退している仕事であるから、新たなチャレンジが必要だ。
    そこで、まず「明るい森」にするためにいろいろな手立てを考えた。
    子どもたちに森に親しんでもらうように「ツリークライミング」をした。
    すると、動物や鳥たちの目線で森の自然を体験できる。

    森には、家づくりに使われる用材の他、使われない部分や枝は山に捨てられる。
    それは一つ一つを見るととても個性的で、魅力的な存在だった。
    そこで、それをイベントで活用した。
    薄く平らな丸太を並べておくだけで、子どもたちは喜んで遊んだ。
    樹の皮は捨てずに、加工して、焚火の焚き付けにして薪と共に販売した。

    それから、木で造るおもちゃを開発した。
    その構想は、桧原村をドイツのザィフィン村のようにトイ・ビレッジにすることだった。
    「木育」という考え方がある。
    それは、日本には後40年経つと、戦後植えられた森が樹齢100年の森なる。
    つまり、その100年の森に入り、大人も子どもも、そこで木を使って遊ぶ。
    そして、森で遊ぶ楽しさを味わい、木を使って遊ぶ遊びを発見し、工夫する。

    それから、6歳になったら、机を造ろうプロジェクトがある。
    杉等の間伐材で机のキットを用意してある。
    子どもたちが小学校に入学する時には、
    一生使える机を親子で作成するというプロジェクトだ。
    お父さんと一緒に造った机で勉強する。
    その机は、お父さんが亡くなった後でも、きっとそこには遺る机だ。

    森林のオーナー制度もやっていた。
    30年間かけて一緒に木を育てようという目的だった。
    入会金5万円・,年間千円の会費で、30年間。合計8万円のプロジェクトだ。
    まず、3本の苗木を植える。
    7年間は、毎年1回、下草を刈ってもらう。
    その後4年間は、枝打ちに来てもらう。
    その後、25年までは会社でお世話をする。
    25年目に、一本。30年目に、一本切る。
    その間伐材を記念に、好きな物に加工する。
    そして、遺った一本を100年かけて育てて行く。
    もし、私が、この木のオーナーになったら、
    25年目は、私は87歳になっている。
    その25年間をその木と共に生きる。その木に励まされながら。慰められながら。
    30年後には私は92歳になっている。
    私は、まだこの世に生きているのだろうか・・・・。
    どんな老人となっているか。
    そして、私がこの世を去った後も、100年後もその木は生きる。生き続ける。
    そのお世話を、この会社が責任をもってしてくれる。

    そして、その森は、美しい森林として育ち続ける。
    森を相手にすると言うことは、
    こうして長い長い自然の命のスパンでかかわるということだ。
    そして、いつか自分は死んでいくのだと、想うことだ。
    そして、私が死んでも、この木はずっと生き続けてくれるということだ。

    きっと次の世代が、この森を受け継いでくれるはすだ。
    そのために、今、ここに、この木を植える。

    それが、森とかかわり、森と共に生きる生き方、死に方だった。

    しかし、この気付きと感動とは、
    森とかかわっ人にしか分からないことだった。
    そのことを、子どもたちが学んだらどうだろうか。
    きっと森と共に生きられる、森から何かを学んで生きる大人となると思っている。

    小千谷のSさんは、今朝も大河の音を聴いているだろう。
    越路町の彼女は、今朝も畑に立って、水やりをしているだろう。
    自然と向き合うと言うことは、自分の身体と向き合うことだ。
    この身体は、自然そのものであるからだ。

    だから、身体は気付いているんだ。
    気持ちよく生きるためには、どうすればよいかを。
    その声を聴き、その声に聴き従って生きることが、
    「気持ちよく生きる」ための生き方ではないかの「問い」だった。

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