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  • from: クマドンさん

    2020年07月23日 06時47分09秒

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    彼女のDNAとは。私のDNAとは。あなたのDNAとは。

    朝、篠原ともえさんの話だった。
    そういえば、なかなかユニークな女のことがいたなぁー。
    そういうば「シノラー」と呼ばれている女の子たちがいたなぁー。
    16歳でデビューして、25周年だそうだ。
    この子の話を聴いていて、「本当にいい子なんだなぁ」と、つくづく感じた。

    彼女はデザイナーでもある。歌って、踊れるアーチストだった。
    今は、洋服のデザインだけでなく、絵を描いて個展を開いているそうだ。

    その彼女の原点が、寿司屋を夫婦でやっている母親だった。
    結婚する前は洋裁をやっていたその母親が、なかなかいいのだ。
    小学生の頃、洋服ってどうやってできているのか知りたくて、
    自分の着ている服を、パーツごとにバラバラしたそうだ。
    しかし、母親は、それを叱るどころか、
    そうやって洋服のことを研究する娘を認めてくれたそうだった。

    それから、母親が大事にしていたジーンズを裁断し、
    その布を使ってポーチを作って、母親にプレゼントしたそうだ。
    その布が、自分の大事にしていたジーンズだと知っても、
    「ありがとう。とてもかわいいね」と、感謝されたそうだ。

    彼女は、「とても寛大な母でした」と、笑っていた。
    「寛大」そうなんだ。
    今、大人たちや親たちが忘れてしまった大事な心の一つに、
    この「寛大」は入っていると、私は気付いた。

    彼女は、創ることに夢中になっていた。
    デビューして歌手としての活動で忙殺される中でも、
    高校のデザイン科の課題である絵を、
    せっせと隙間の時間で描いていたそうだ。
    「私って、人に喜んでもらえると、嬉しいんですよね」
    「人を喜こばす」そのことが、彼女の作品造りの原点だった。
    「自分」のことよりね、「人」の喜びを優先する。
    そんな生き方も、今の大人たちから失われた生き方なのかもしれないと気付いた。

    彼女は、いつもいつも超明るいキャラが売り物の人だった。
    だから、いつもはちゃめちゃにとんで、
    みんな周りの人たちを笑わせ、楽しませてきた。
    しかし、心がどんどん辛くなり、泣きたい気持ちにもなっていた。
    心のバランスをそんな状況でとることは十代の人にはとてもとても難しい。
    しかし、実家に帰り、母親の前でも、笑顔で頑張れる子どもでいたかった。
    でも、そんな彼女の気持ちを母親は察してくれた。
    その優しさに、彼女は母親の前で大泣きした。大泣きできた。
    それでほっとした。そして、また、大笑いの笑顔になった。
    「大丈夫。大丈夫。大丈夫」だな。

    彼女の創作に対する意欲の原点は、お婆ちゃんからのDNAだと、
    このインタビューの途中で、はっと気付く瞬間だった。
    「実は、人口200人位の小さな島である青之島にお婆ちゃんは住んでいました」
    「お婆ちゃんは、お針子さんをずっとしていて、自分の着物はみんな手作りでした」
    「そして、出来上がった着物を知っている人に贈ることも多かったです」
    「ある時、私はお婆ちゃんの着物の造り方を習いたくて、着物をほどきました」
    「とにかくひと針ひと針がとても丁寧で、美しいんですね」
    「襟の所に三枚重ねた布をつけるんです」
    「その襟の裏地の布を見て驚きました。裏地なのにとてもとても素敵な布なのです」
    「この布のことは、お婆ちゃんと、その着物をほどいた私しか知りません」
    「孫の代まで遺せるものを造る」
    「遺していけるものを造る。それを生活の中で成し遂げる」
    「それは、私に物を大事にする心和を伝えてくれました」

    私は、この裏地の布の話を、一生忘れまいと思った。
    孫の代まで遺したい。
    その孫に伝えたいその想いは、
    目には見えない、誰にも分からない、その裏地に遺されていた。
    いつか、誰かが、この着物をほどいたら、
    その時、「はっ」と気付けるその日の為に、
    お婆ちゃんは、心を込めて、その布を選び、丁寧に丁寧に縫い上げた。

    それをお婆ちゃんが亡くなった後で、
    彼女が見つけた。
    お婆ちゃんが、私の中で生きていてくれたんだの驚きと感動だ。
    私は、子どもに何を遺せるのか・・・。

    生き方しかないなぁ・・・と、よく思うようになった。
    私が、死んだ後に、ほんとうに、ある瞬間だけなのかもしれないが、
    「ああ、父さんが、あんなことしていたなあ・・・」
    「そういえば、父さん、歌うことが大好きだったなぁ・・・」
    その時の、長男と次男が思い出す私が、
    きっと私が二人に遺してやれる私なんだろうなぁとは、今は思っている。

    「父さんは、63歳で保父さんしていたなぁ」と。

    何かを心に遺す生き方を、大人である私はしていけば、いいんだ。
    しかし、このことが、なかなか難しいことでもあったな。
    私は、多くの間違いと失敗をしてきた。
    そんな姿も、二人の息子は見ていた。
    それは、もう、変わらないことでもあった。

    それでも、残されたこの私の人生の時間の中での私の生き方の何かが、
    彼等の心の片隅に遺り、
    ほんの僅かでも、ほんのささやかでいい、「尊敬」してくれたら、
    それでけで、私は生きて来た甲斐があると信じて、死ねる。

    彼女は、「高校時代星が大好きで、天文部で星を観察していた」と話していた。
    「星って素敵ですよね。あれってみんな色が違っていて、
     みんな名前があるんですよ」
    「私は、星の美しさに、いつも心が救われました」
    「みんなの傍には、星がいます」
    「そうした星の美しさを見ていると、心の旅をしているような気になりました」

    私は、そうした自然の美しさに感動して、
    空想の心の旅ができる彼女のことが、とてもとても好きになった。
    会って、話ができたら、どんなにか嬉しいことだろうか・・・。

    彼女のような人が、母親であったとしたら、
    どんな子どもが育つだろうか・・・・。
    きっと彼女のお婆ちゃんのDNAを受け継いだ素敵な人に育つのだろうと、
    私は、その子にも会いたい気持ちだ。

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