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  • from: クマドンさん

    2020年07月27日 06時41分28秒

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    人生とは、時間なんだ。

    昨日の突然の豪雨はすさまじかった。
    ああ、雷か。
    雨が降り始めたな。
    あれっ、何だか激しさを増して来たぞ。
    そう思ってベランダの物干しから外を見て驚いた。
    滝の中にいるようだった。
    その内に、物干しのサッシのひさしの部分から水が漏れだし、
    まさに洪水のような状態だった。
    「突然の変化」「自然の猛威」「集中豪雨」
    それに対しては、全く為す術の無い私たちだ。

    小千谷のSさんと電話した。
    「今、クマさんは、何に取り組もうとしていますか?」と訊かれた。
    「そうですねぇ・・・」と、答えることをしばしためらった。
    今、ここで、何もしなければ、楽になる・・・・。
    そんな気持ちもあるからだ。
    しかし、本当にそれでいいのか。
    私にも何かやめるべきことは、あるのではないのか。

    それは、良寛さんが、保父さんの祖であると気付いたその日からの、
    わたしからの私への「問い」でもあった。
    今、ここで、私が了解したことを私の中だけに留めるのではなく、
    誰かに伝え、誰かの役に立つこともできるのではないのか、
    そんな気持ちも、私の中にまだあるからだった。

    横浜の「信愛塾」のことを、ラジオで知った。
    竹川真理子さんの40年間の歩みでもあった。
    彼女はクリスチャンだ。
    研究職で多忙を極めている時、
    外国籍の子どもたちの勉強の手伝いをして欲しいと頼まれた。
    23歳?だった。
    夜の空いている時間なら大丈夫と、そのボランティアを受け入れた。

    その時、知っているフィリピンから働きに来た女性と知り合った。
    その彼女の子どもに区役所から就学通知が届かなかったというこだった。
    そして、調べてみたら、外国籍やオーバーステイの子どもには、
    日本の学校で就学する権利すら与えられていないことを知った。
    そこで、この子どもたちにも学校へ行ける権利を与える運動が、
    その1人のフィリピンから来たお母さんから始められた。
    それが、今から40年前の日本の社会だった。

    彼女は、そうした子どもたちと生活に困っている親たちのために、
    NPOとなり、この「信愛塾」の主任となり、
    その運営と経営とを続けて来た人だった。
    「見捨てて置けない」「見過ごしにできない」
    今は、横浜に仕事を求めて来た外国籍の人たちの生活の援助をしたり、
    子どもたちの日本語での学習の救けをしたりしている。
    しかし、一番彼女が心掛けていることは、
    この子どもたちの心の傷や痛み、孤独、哀しみに対するケアであった。

    まさに、彼女は、その子どもたちにとっては母親のような存在である。
    台湾から幼い時にやって来たAさんは、そうとうやんちゃで暴れた男性だった。
    万引き、非行、暴力、そして、警察。
    とにかく彼の兄弟たちは、その地域では有名な不良たちだ。
    そこまで、その子たちの心が荒れるには、わけがあった。
    しかし、その子どもたちの孤独や哀しみに手を差し伸べる人はいなかった。

    いつしか、彼等は、この塾に遊びに来るようになった。
    「勉強しなさい」「勉強しなけりゃ、生きていけないよ」と、
    日本語で学校の教科書を学んだ。
    彼は、今、24歳。水道工事技師となり、兄貴分として頼れる存在だ。
    彼は、竹川さんに心からのリスペクトと感謝だった。
    彼女は、今、困った状況になると、彼を頼り、援けてもらうと言って笑った。

    「居場所なんです」と、彼女が語る。
    「何よりも大切なことは、子どもたちの心の居場所なんです」

    彼女は、強制送還されたフィリピンの子どもたちも、
    その国を訪れて、見守る活動を続けている。
    それは、彼女にとっては、生きているそのものの実感だった。
    その子のためでもあるが、
    自分自身の人生のためであると彼女は考えて、行動している。
    40年間だ。
    彼女は、ちょうど私と同じ年代である。

    彼女は、その40年間、地域社会が忘れ、見えなかった子どもたちのために、
    その人生の時間を使った。
    人生とは、時間なのかも知れない。
    その与えられた時間は、確かに人それぞれである。
    そして、人生とは、その時間を誰のために、何のために使ったかで、
    決まるものだと、Sさんの電話の言葉で改めて感じさせられた。

    今朝、3時50分に目覚めた。
    今朝の夢を私は、本当に鮮明に覚えていた。
    不思議なことだった。シュールなんだな。
    その瞬間、「私も、死ぬんだなあ」と、ふと心に浮かんだ。
    人は、死ぬんだ。
    私は、でも、今日は、ここで生かされているんだ。
    では、いつまで私は、こうして生かされているのか。
    それは、神だけが、知ることだった。

    竹川さんの40年間を想った。
    そして、ドラマ「仁」の医師を想った。
    同じなのではないのかの「問い」だった。

    人生とは、限られた時間のことだ。
    「人生を短くしたのは、その人なんだ」と、セネカは言っている。
    その時間を、自分だけために、欲望のために、名誉や権力や金のために、
    費やしてしまうことも人生の生き方だった。
    しかし、この時間を私に与えた主は、
    私がその時間を何のために、どのように使い切るかをご覧になっている。
    その主からの眼差しが、
    この二人には共通しているような気がする。

    そして、その眼差しが、私の奥深くからの「問い」となる。
    その「問い」は、こんなちっぽけな私に、「いかに生きるか」を問うてくる。
    「それで、いいのか」と、語りかけてくる。
    「見過ごしにするのか」「見て見ぬふりをするのか」と、言う。

    竹川さんは、40年間「信愛塾」を続けた。今も、これからも、そうだ。
    「仁」の医師は、突き進めとの啓示を受け、それを信じて患者を救った。
    良寛さんも同じなんだ。
    きっと、「慈悲」の想いで、五合庵に棲み、子どもたち遊んだ。

    そこには、自分自身は居なくても、自分のことは捨てられていても、
    何だかとてもとても大いなるものが存在し、
    その人を内から動かしているような気がする。
    それを、ミッション(使命)と、人は呼ぶ。

    人生と言う与えられた貴重な時間を、人は何に使うか。
    浪費し、無駄に費やし、死んでしまっては、
    何だか生きている「意味」も感ぜられず、
    哀しさと虚しさと孤独の中で、この世との別れとなるのではないだろうか。

    「捨てろ」と呼び掛けられる。
    捨ててこそ、初めて受ける信がある。
    やはり、この信(まこと)を、信ずることなんだな。
    言葉によって生きる時、人は「信ずる」人となる。
    信というこの漢字の意味を、私が悟ることなんだな。

    「初めに言葉があった。言葉は、神と共にあった。言葉は、神である」 ヨハネ

    あの突然の豪雨のように、突然私に死が訪れたとしたら、
    ある日、突然、死の宣告を受けたとしたら、
    私は、「分かりました」と、そのことを受け入れられる生き方をしているか。
    この「問い」は、私が死ぬまでの日々の「問い」として肝に銘ずる。

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