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  • from: クマドンさん

    2020年11月16日 06時54分44秒

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    演ずる

    朝、FBを書くようになってから、この「親父たちよ」の時間が無くなっている。
    まぁ、本末転倒と、反省はしている。
    書きたいからただ書いている。
    このことが、義務になったら、何の為に書くのかの意味が無い。
    ここでも、やはり自分の本音を明らかにしたい。
    ただそれだけでも、ここに書く意味はあると、再確認している。

    役者の話だ。
    私は、リーデングで、「メディア」のイアソンの役になった。
    久しぶりの役者さんだ。
    それで、台詞をプリントしたA4の紙をいつも持ち歩く。
    そして、台詞を一つ一つ身体に入れる。
    この稽古は、なかなか根気のいるものだった。
    とにかく、覚えられるまで、何度も何度も同じ台詞を繰り返すからだ。

    ところが、一つの台詞を覚えても、次の台詞が繋がらないことが多い。
    一つ一つの台詞は独立してあるのではなく、
    連動して、一続きのイアソンの思いとして存在している。
    そして、そのプロセスでは、
    メディアとの対話によって、
    感情の変化が求められる重要な台詞だった。

    しかし、私は、いつもいつも想うことがある。
    この台詞を言っているのは、いったい誰なのかという「問い」だった。
    確かに、私がその台詞を言っているのだが、
    私が言う。それでいいのかと、いつも「問い」が離れない。

    では、イアソンが言えばいいのだ。
    とは思うが、私は、イアソンになろうとしても、イアソンにはなれない私。
    私は、イアソンではなくねこのクマだからだ。
    それでは、その気持ちを想像して言えばいい。
    しかし、それは、単なる造り物ではないのかと、私は考える。
    それだけは、したくなかった。

    監督の笹部さんは言う。
    「自分を出さないで」と。
    確かに、その台詞と一枚になっている瞬間はある。
    そうすると、その台詞の響きや語りが面白く、愉快にも感じられる。
    その時は、彼は、黙って私の好きなようにさせてくれる。
    しかし、やっぱり、どこかに私が出るのだろう。
    そこを、びしっと指摘する。
    「ああ、また、やっちまったか」
    しかし、では、どうしたらよいのかは、未だ了解できずにいる。

    音楽家は、演奏する時、どうしているのだろうか。
    音の響きや音色を味わいながら演奏しているはずだ。
    一流の演奏家は、たった一音で私を涙させる。
    その美しく魅力的なその音色を、
    どうやって出しているのかの「問い」でもあった。

    歌を歌う時、私は、自分が歌いながらもその響きと強弱、音色を聴いている。
    歌いながら、その歌を味わっている私もいる。
    それは、離れている。別れている。そいういうものではなく。
    1つなのだが、響く音と味わう私がここに居る。
    その一体感の中に、実は、もう1つあるものが存在するのではないだろうか。

    そのあるものを、時々、私は、胸に感ずることがある。
    昨日の礼拝中もそうだった。
    懐かしい先生を前にして、私の40年間が蘇って来た。
    本当に死ななくてよかった。
    よく生かされてここまで来れた。
    こうして彼の説教を聴けることができた幸せ。
    その瞬間、ここらあたりでもやもやと動くものを感じた。
    その瞬間、目にはいつも涙が溢れる。

    「ああ、訪れだな」と、昨日は確かに感じた。
    この訪れを気付かせてくれるのが、私の涙だった。
    本当によく、涙するようになった。
    泣くというのではない。感極まるということも確かにある。
    しかし、この涙は、極まったというよりか、顕れたと言うほうかふさわしい。
    つまり、歌う私。その歌を味わう私。そして、この表れとしての私。
    これが、歌にはあるように感じた。

    司会をしながら、突然、涙が溢れて止まらないことがある。
    「まってください。ここで、涙を流させないでください」
    そうお願いしても、そのとめどないものは、止めどないのだから、
    ずっとずっと涙を流して、声にもならなくなる。
    そんな姿を、私は礼拝で何度も曝した。顕わにした。
    その涙なんだ。
    その存在こそ、私でなく、造り物のイアソンではなく、
    イアソンそのものの。
    というか、イアソンである霊、それに委ね、支配される。
    上手く言えないが、この込み上げて来る涙のように、
    そのイアソンが、込み上げてくるための、私はただの身体であればいいんだ。

    そのただの身体・デクノボウに、私は、なれるのか。
    そのことを、体現することが、私がイアソンを演ずる意味なのではないのか。
    もし、イアソンが顕れたら、私は、きっと何かを超えることができる気がする。

    J&Yで、酔っぱらって、こんな話を語っていた。
    Tさんは、いつもいつも真剣に、共に考えながら、こんな話を聴いてくれる。
    不思議なんだが、私は、本気の聴き手がいてくれるから、分かるのだった。
    私は、語りながらも、考え続けている。
    つまり、私が、語ろうとしていることとは、何なんだ。
    それを、語りの一つ一つの言葉を集め、関連付けながら、
    発見しようと探究を続ける。
    私にとっての語りとは、探究そのもの。

    そして、時間と共に少しずつ明らかになって来たのは、
    やっぱり、私たちは、役者ではないのかの、発見だった。

    私は、夫として、父として、友として、保父として、
    その場、その時に、役をもらっている。
    その役を、私は、若い頃は、役のまま、ただ思いつくまま、感情のまま、
    それを与えられた役として全く思わず、
    ただ、やった。ただ行った。

    しかし、それを役者が与えられた役目・役割と考えたらどうだろう。
    私は、父としてここに生きる。
    私は、父としてここに日々に家族の中で生活している。
    だから、私は、何もしなくても、この状況では父である。
    つまり、父であることを、そのまま続けて来ただけなのかもしれない。

    イアソン=父。
    つまり、私がこの家族の中で父として生かされていることとは、
    この父を、演ずることではないのかの自分への問いでもあった。
    確かに、物語も台本もない。台詞も決まっておらず、演出もいない。
    でも、私は、そうした状況の中で、父を演ずる使命が与えられている。
    そう考えると、何だか、父もやりがいのある役目となるようだ。

    つまり、演ずるという視点が入ると、
    父としての役目・役割と、それを演じる自分との関係が生まれる。
    つまり、激情に走り、突発的に怒鳴り散らす、父ではなく、
    今は、どうすれば善いのかを、冷静に客観的に考える自分となる。
    激怒のままか、その激怒を演ずることかは、
    全く違うのだということだ。

    そして、演ずる時、必ず、演出家の目が入る。
    そうなんだな。
    演ずると言うことは、どう演ずるか、その働きや想いが介入することだ。
    そして、やはり、その演出に全てを委ねる。
    ただの身体・デクノボウと成りきる。
    空っぽにする。いいようにしてくれと、身を投げる。
    そうすると、きっとその父の役に霊的なあるものが働く、
    それは、神の視点であるかもしれない。

    あまりにも人間的な父であり、自分が演じていると得意な父であり、
    そうであった私が演ずる父であるが、
    確かに、ある時から、「言わなく」なった。「我慢」するようになった。
    「待つ」ようになった。「黙って」観るようになった。
    そうした父になれと、演出家の声がするからだ。
    つまり、霊的な視点から、父としての私を吟味するからだった。

    私が、きっと行きつく先は、デクノボウだ。
    つまり、笹部さんに全てを委ねる。任せる。どうでもいいように、だな。
    そうすると、とても楽にイアソンができるのだ。
    考えて、決めるのは、私なんかではない。
    演出家の笹部さんなんだ。

    つまり、演ずるということには、
    役と、自分と、演出家なんだ。
    そして、演出家の創造に全てを委ねる時、
    私の中の眠っていた霊的な力が蘇ると思った。

    つまり、演ずることとは、その霊的なものに創られることでもあるんだな。
    そのことを今は、少しでも実感したいために、
    台詞を身体の中に入れている。
    しかし、そこに命を吹き込むのは、演出家の笹部さんなんだ。
    そのことを、とてもとても私は楽しみにしている。

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