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親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

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  • from: クマさんさん

    2010年11月30日 05時56分44秒

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    やるぜよ。クマさん。

    龍馬伝が終わった。というよりか、坂本龍馬が暗殺された。最終回は、涙涙。号泣しながら観ていたものだ。新政府を新たな体制で創ろうと夢見る龍馬。各藩に構想を

    龍馬伝が終わった。
    というよりか、坂本龍馬が暗殺された。
    最終回は、涙涙。号泣しながら観ていたものだ。

    新政府を新たな体制で創ろうと夢見る龍馬。
    各藩に構想を手紙で伝えた。
    幕府を武力で徹底的に潰したい薩摩と長州。
    大政奉還を実現させた土佐。
    幕府からは、龍馬への恨みは計り知れないものがあり、
    大義を失った新撰組や幕臣たちは、ただの侍・浪人に落ちぶれた。
    龍馬は、この慶応三年では、日本中を敵に回した。
    たかが一人の脱藩浪人がである。

    新政府の綱領を作り、そのメンバーを決定した。
    松平春嶽・三岡八郎。名君とその参謀をその中に入れている。
    公平・公正に次の世を創るために必要な逸材を選び、並べる。
    しかし、そこには龍馬の名はなかった。
    龍馬にとっては、政治とは小さなことなのだ。
    彼の夢は新政府を創ったならば、その立場から退き、
    世界の海援隊として、海を越えて、世界の国々と貿易を通して交わることだった。

    そんな龍馬を密かに、暗殺者たちが探索していた。
    そこへ、中岡慎太郎が登場するのだ。
    近藤勇との一騎打ちはよかった。
    創作とは言え、これがドラマの面白さだ。
    あの暗殺者たちのキャスティングも見事である。
    この人たちならば、確かにやり切るだろうと観る者に恐怖を与える。

    さて、杯を一つ一つ並べながら、龍馬は死んでいった友を回想する。
    武智半平太・岡田以蔵・饅頭屋長次郎。
    みな志半ばで倒れた、龍馬にとってはかけがえのない同志だった。
    龍馬の凄さの一つに、仲間が居る。
    彼はいつも同じ志と夢を抱く若い仲間に囲まれていた。
    「世の中の人は何とも言わば言え 我が為すことは 我のみぞ知る」
    劇中でも、龍馬はこの歌を語っていた。

    暗殺の夜。雨の設定。龍馬は風邪をひいていた。
    中岡慎太郎と酒を酌み交わし、語り合っていただろう。
    突然の侵入。龍馬の傍には刀がなかった。
    一刀のもとに眉間を割られ、脳髄が出たそうだ。
    頭を押さえたら、自分の手が傷にすっぽりと入り、自分の死を自覚した。
    中岡は、しばらくの間生きていた。
    悶絶しながらも、息はあったようだ。
    この暗殺シーンの演出は、秀逸だった。

    坂本龍馬。33歳。慶応3年11月15日。
    この夜、龍馬の描いたこの世の夢が断たれてしまった。
    どんなに無念で、心残りだっただろうか。
    「命を全部使い切ったかのう。」
    それは、天が与えた龍馬の天寿なのだろうか。
    そのシーンに、Yuccaさんの「想望」が流れる。
    この3つの重なりに、私は「運命」を感じた。

    坂本龍馬は、私が高校時代から憧れ続けた男である。
    Yuccaさんは、ファンクラブの一人としてブラヴォーBとして応援している歌姫である。
    そして、11月15日とは、阿賀野川を大助・小助がのぼった日なのだ。

    号泣の中で、桂浜での龍馬のシーンになった。
    ラストでも世界への夢を語る龍馬。
    実は、彼は最初の日本人を自覚して生きようとした人物なのかもしれないと思っている。
    日本人。私たち一人一人もそのことを自覚し、
    この国の未来と次代につながる人たちのために、
    この命を使い切ることが求められているのではないだろうか。

    翌日の朝は、腫れぼったい目をして、よく目が開かなかった。
    職場の同僚は、どう想ったことだろう。
    まさか「龍馬伝」を観て(2回観た)号泣したためとは誰も想うまい。
    「終わったぜよ。」
    でも、私の志の中には、永遠に「坂本龍馬」は生き続けてくれている。
    「やるぜよ。クマさん。」
    彼はいつもそう私に呼び掛けてくれる。

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  • from: クマさんさん

    2010年11月28日 07時29分39秒

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    昔の仲間たちよ

    昔の仲間たちに会うのもいいものだ。そんな機会が昨日あった。私は15年前までは、村上で6年間を過ごした。そこで結婚し、長男が生まれ、私は馬鹿なことばかり

    昔の仲間たちに会うのもいいものだ。
    そんな機会が昨日あった。
    私は15年前までは、村上で6年間を過ごした。
    そこで結婚し、長男が生まれ、私は馬鹿なことばかりやっていた。
    その頃の仲間である。

    とにかくよく飲んだものだった。
    坂町駅前の旅館に下宿していた頃、この町でもよく飲んだ。
    若いと言うことは、怖れを知らぬと言うことだ。
    飲めば夜中まで付き合った。
    翌日は、悲惨なものだったなぁ。

    しかし、あの頃の仲間とは、酔って馬鹿騒ぎするだけでなく、
    よくよく議論したものだった。
    必ず仕事の話で、熱のある言いあいとなり、
    喧々諤々と戦ったものだ。
    酔っていい話をしても、翌日はすっかりと忘れてしまう。
    「ああっ、おもっしぇかった。」それだけが残る。

    そんな仲間と何年振りに会っても、
    やっぱりその時の濃い付き合いのままなのだ。
    偉くなっている仲間もいた。
    遅くの結婚でまだ子どもが2歳だという仲間もいた。
    ストレスで心臓を患い大手術した仲間もいた。
    仕事で深刻な悩みを抱えている仲間もいた。
    人はそれぞれの場所で、それぞれに生きていたのだ。

    私の休職のことを知って、心配して声をかけてくれる仲間がいる。
    「よかった。もう大丈夫。」そんな言葉が嬉しかった。
    こっちから行かねばならないところ、
    注ぎに来てくれた仲間には感謝だ。
    「今、どこらん。」
    豊栄で世話になった仲間も、すっかりと頭が白くなっていた。
    130名余りの叔父さんの集団だった。
    いっちょまえのおとっつぁんたちである。

    そんな53歳の親父たちが、そこで気づいたことは、
    「家族と健康」がとてもとても大切であったということだ。
    この二つのことがあっての仕事であり、仲間でもあった。
    私は、健康を失ってみて、つくづくその有難味が分かった。
    こうして仲間たちと再会できるのは、
    それがあったればこそなのだ。
    「無理すんな。」「いい加減にやろて。」「体、大事にせぇや。」
    そんな言葉を交わす。

    トイレに入って並びながら、
    「最近、切れがわーーりなってのう。」と言っている。
    「それにしても白なったなあ。」と私の頭をまじまじと見ている。
    お互い労わりあう時期が来たのであろう。
    かっては、怖れを知らぬ暴走軍団が、
    今はちっとは大人になり、互いの無事を確かめあう年代となってしまった。

    その時期、その場所で、よい付き合いをしていたおかげで、
    こうして心と心とでつながる仲間に恵まれた。
    やはり「正直に、誠実に生きる」それに尽きるなぁとふと思った。
    帰りは松浜行きのバスだったので、
    やっぱり「なじら家」へ行ってしまった。
    あの550円のスペシャルの串盛はいいねぇと思った。
    ここでもCさんと、濃い話ができたようだ。

    本日、缶詰めで、脚本書きである。
    まだ一場しかできていないのだ・・・。どうしょう。

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    from: ピエモンテ - 2さん

    2010年11月28日 21時19分10秒

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    「Re:昔の仲間たちよ」>やっぱり「なじら家」へ行ってしまった。>あの550円のスペシャルの串盛はいいねぇと思った。>ここでもCさんと、濃い話ができた

  • from: クマさんさん

    2010年11月26日 05時51分28秒

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    酷い法律

    交通事故のその後の報告。結論、未だに加害者は謝罪に来ていない。「本当に謝る気があったら来てください。」と私に言われて、謝る気のない爺さんは、あれいらい

    交通事故のその後の報告。
    結論、未だに加害者は謝罪に来ていない。
    「本当に謝る気があったら来てください。」と私に言われて、
    謝る気のない爺さんは、あれいらい10日間いっさいの連絡を断ってしまった。

    保険会社へそのことを訴え、爺さんに忠告をお願いしたが、
    それも無駄だった。
    この件のような事例では、爺さんが謝りに来るのは、
    爺さんが道義的な責任を感じて、自主的に行うものだそうで、
    何も法的には、強制する根拠はないそうだ。

    昨日、調停に持ち込もうと思い、県の交通事故何とかへ電話した。
    まず、金額として被害者に支払われるものは、保険会社の規定によるものだけであるとのこと。
    つまり、治療費や実際の損害についての査定は行われるが、
    精神的な被害に対する慰謝料については、
    その査定以内で、期待はできないそうだ。

    私は、ひき殺されそうになり、ひき殺しそうになった爺さんが温泉に行こうが、
    謝りに来なくても、そのことに対する被害者の怒りとストレスにたいしては、
    法律では、泣き寝入りせよとのことだった。
    爺さんには、行政的な処分が下されている。
    つまり、この爺さんを被害者が訴えることはできないのだそうだ。

    次に、爺さんが保険屋に示談の処理まで契約に入れているために、
    もしも裁判に訴えても、私が訴える相手は、このろくでもない爺さんではなく、
    保険屋になるそうだ。
    つまり、全ての治療が完了後に、治療費などの対価が支払われる。
    慰謝料については、保険屋のさじ加減でもあるようだ。
    それは、保険屋の良識に左右される。
    その結果、示談に対しての不服を申し立てる時、
    やっと調停の席に立てると言われた。
    そして、その相手は、くそ爺ではなく、大手保険屋の有能な弁護士なのだ。

    保険が、加害者を守る。
    被害者は、ひき殺されようが、一生の障がいを受けて苦しもうが、
    それは既に加害者の責任ではない。
    その責任を代行する保険屋がはじくそろばんによって支払われる金額だけが認められているのだ。

    法律は、被害者を守るのではなく、加害者を手厚く保護していた。
    つまり、この爺さんが一度も我が家に謝罪に来なくとも、
    申し訳がないと慰謝料を一銭も払わなくとも、
    法律では許されているのである。
    謝るのは、ただ加害者の良心によるだけなのだ。
    今回のように「俺は、ひくつもりはなかったれ。」と言いきる爺さんには、
    何を言っても無駄なのだそうだ。

    泣き寝入り。それが今回のケースの結論である。
    私は、未だに右膝の痛みが取れず、
    ゆっくりと階段を降り、右膝をついて靴下をはけない状況である。
    頭部の打撲は、しばらくの期間を置いて突然脳内出血等の後遺症が危惧される。
    このことでどれだけ腹を立てて、携帯での電話代を使ったことか。
    しかし、結論は「運が悪かった。忘れなさい。」なのだ。

    この法律、どこか間違っている。
    加害者の保護よりも、被害者の保護が優先だろう。

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  • from: クマさんさん

    2010年11月25日 06時02分41秒

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    治らない

    激動の一週間だった。四日間連続でなじら家に通い、火曜日には、アルビレックスのバックヤードツアーだった。酒を別に飲まなくてもよいのに、ついつい過ごしてし

    激動の一週間だった。
    四日間連続でなじら家に通い、
    火曜日には、アルビレックスのバックヤードツアーだった。
    酒を別に飲まなくてもよいのに、ついつい過ごしてしまう。
    その後は、ただ只管反省の日々である。
    翌日の辛いこと辛いこと。
    「じっとしてられない人だね。」と言われたそうだ。
    性分と言うものは、治らないのだ。

    新潟検定2級合格者を対象にした、アルビツアーだった。
    観光バスで正面玄関横付け。
    アルビ創設期からの秘話を聴き、アルビの戦略をコーチされる。
    そして、放送施設の見学と、選手のロッカールームの見学だった。
    そこにはこれから試合に出る選手のために、
    全ての用具がきちんと揃えてあった。
    ユニホームがある。シューズがある。タオルとすね当てもある。
    それを毎日選手の気持ちになって準備している青年からサインをもらった。

    ゲーム大会では、ファビーニョが登場した。
    彼が部屋に入っただけで、空気が変わり、オーラーを感じた。
    日本人以上に日本人らしい人なのだ。
    スマイルと温かさ。
    私はファビにサインをもらい、ハグしてもらった。
    何と言う光栄なことであろうか。
    ファビのサインは、アルビのユニフォームのへその上にある。

    選手入場をピッチで迎えた。
    練習に出る選手たちとのハイタッチである。
    目が違っていた。アドレナリンが爆発していた。これがプロの選手なのだ。
    ピッチで練習を観た。同じ目線に立ち、こんなに近くでボールの音と選手の声を聴いている。
    ピッチに立つとサポーターの声援が怒涛のように鳴り響くことがよく分かる。
    気持ちが自然と鼓舞されて、戦いモードに変わっていく。
    12番は伊達ではないのだ。
    仙台のサポーターも美しかった。
    地方発の情熱をお互いの姿から感ずることが出来た。

    観戦は、一層7列目のピップ席である。
    スポンサー関係者が座る席だ。ラウンジを通ってここに入る。
    すぐに熱燗とチューハイを準備する。
    こちらも臨戦態勢。常在戦場である。
    試合は・・・。仙台の固い守備とカゥンターに翻弄されていた。
    それでも後半終了間際に、アトムの弾丸シュートが決まり、ドローっとなった。

    ここまでは良かったのだが、この親父、興奮状態で立ちあがって応援を始めた。
    すると警備員が来て、「座ってください」とイエローカードをもらった。
    私は、ドカンと腹が立った。
    「何を言ってるんだ。俺はサポーターだぞ。」
    腹が立ったので、帰りにアルビの担当職員に抗議した。
    今想えば、またやってしまったと苦い後悔である。
    せっかくの好意に、私が水を差すようなことをした。
    「お父さんは、だから・・・。」かみさんの呆れ顔が見えた。

    私は、北葉町でバスを降り、とぼとぼとなじら家に向かった。
    そしたら、何と私が探し求めていたアレがあるそうだ。
    さっそく食べさせてもらった。「うますぎる。」絶賛ものだ。
    すると携帯が鳴った。かみさんだった。冷たいものが背中を走った。
    「夕食用意して待っているのに、何してるの?」
    「今、なじら家に居ます。」絶句としばらくの沈黙。
    「もう知らないからね。勝手にしなさい。さようなら。」

    ピエモンテの言葉は、こんな性分の私に対しての慰めであり、警告なのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年11月23日 06時21分19秒

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    日々是家族也

    いつの間にか11月もあとわずかとなっている。月日のたつのは、本当に早いものだ。長男が本日、大学受験に向けた模試に挑戦する。それなのに、昨夜は親父が「ラ

    いつの間にか11月もあとわずかとなっている。
    月日のたつのは、本当に早いものだ。

    長男が本日、大学受験に向けた模試に挑戦する。
    それなのに、昨夜は親父が「ラヂオの時間」を観て泣き笑いだった。
    「父さん、俺寝るから、テレビ消していい。」
    すまないことだと、いつもいつも反省の日々だ。

    次男の勉強には、一向に力が入らない。
    ぼーっとした日々を何となく送っている。
    「勉強したら」とついつい言ってしまう煩い親父になっている。
    本人にその気がないうちは、本気にはなれないだろうとは分かっている。
    ただし、成績は向上し、目標の数値が格段に上がっている。
    「やればできるのだ。」
    さて、本日もどのような一日を彼は過ごすことだろう。

    母は、まことに元気がなかった。
    食べられない。お腹が減らない。食欲がない。
    人間改めて考えると、食べることが日々の喜びでもあったのだ。
    小さな喜びや幸せ感は、食べることから生まれるのではないだろうか。
    「うまいねぇ。」とにっこりと笑顔が生まれる。
    そんな日々の喜びを、母は奪われた。
    根気強くとは思いつつも、そんな辛さに少々疲れている母だった。
    しかし、この正月を越せないかもと心配した夏のことを考えたら、
    生きているということで、日々の幸せを感じねばならないのだろう・・・。
    人間やはり、喉元過ぎればなのだ。

    父が、目を患っていた。
    医者が嫌いで、薬が嫌いで、我慢強いから、家族には何も言っていなかった。
    ところが、視力がだんだん弱っていたようなのだ。
    さすがに母には言ったらしく、昨日強引に眼科へ行った。
    母が、父を連れてである。
    血糖値が上がり、糖尿病による視力低下が予想されるとのことだった。
    老いるとは、こうして日々弱ると言うことだ。

    私はというと、四日目のなじら家に日曜日、劇団のスタッフで集まった。
    三月のりゅうとぴあ公演のことや、今年度の劇団の運営について話し合われた。
    その後は、飲んで、飲んで、飲んでであった。
    ここでは詳しくは記せないが、新潟の演劇界が大きな転換期を迎え、
    市民劇団の時代が来たことを再認識することができた。
    「演劇を市民のものに。」
    そのチャンスが今まさに到来しそうな予感なのだ。

    「フィールドオブドリーム」
    「それを創れば、彼が来る。」
    そのフィールドをこれからも守り、創り続けようとお互いに確認した。
    私にとっては、脚本を今月中に仕上げねばならない責任がある。
    「夢」に向かって、私は産みの苦しみの日々でもあるのだ。

    日々は、それぞれにある。
    そのそれぞれの日々を感じつつ、心配しつつ、支えつつ生きることが家族なのだろうと想う。
    そして、それぞれは、それぞれの足で日々を歩いていかねばならないのだ。
    「夢」に向かって、「幸い」に向かって、「老い」に向かって、「死」に向かって。

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    from: ピエモンテ - 2さん

    2010年11月24日 15時51分04秒

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    「Re:日々是家族也」>いつの間にか11月もあとわずかとなっている。まったくです。かみさんを、大事にね。

  • from: クマさんさん

    2010年11月22日 18時43分14秒

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    なじら家Jazzコンサートの夜は更ける

    何から書いたらいいだろうか。私がこの掲示板を書けない時は、飲んだ翌日に決まっている。実は、先週の木曜日から四日間、「なじら家」へ通い、飲みっぱなしだっ

    何から書いたらいいだろうか。
    私がこの掲示板を書けない時は、飲んだ翌日に決まっている。
    実は、先週の木曜日から四日間、「なじら家」へ通い、飲みっぱなしだった。
    デェビットさんにやられ、Oさんにとどめを刺されたのが木曜日だった。
    金曜日は、コンサートの準備と打ち合わせのために「なじら家」へ行った。
    明日が休み。そんな夜が私には危ないのだ。

    土曜日は、コンサート当日である。
    5時に会場へ向かい、セッティングをしていたら、
    私の憧れのベーシストである五十嵐誠さんが登場した。
    ウッドベースを抱えて2階に上がり、音出しが始まった。
    古民家がほどよい音響を伝えてくれた。
    私はそのリハを眺めながら夢見心地だった。
    尾崎利彦トリオを追っかけて早5年の月日が立っている。
    五十嵐さんのペースには、私はいつも魂が震え、唸ってしまった。
    その人がなじら家に居る。
    この縁を何よりも感謝している。

    コンサートは大盛況だった。
    Jazzが山の下市場に響く。
    それもコルトレーンであったり、エリックドルフィーであったりする。
    デェビットさんは、実に哲学的な瞑想の世界なのだ。
    「Jazzって何」
    それがコンサートのテーマだった。
    「Jazzは生活・生きること」デェビット
    「Jazzは自由」五十嵐誠
    英語で語れないことが残念至極だった。

    アンコールで盛り上がり、興奮のうちにコンサートが終了した。
    しかし、今回の懇親会もよかったね。
    それぞれが自己紹介と共に、想いを語った。
    そこには、共感できる部分が多く、本日たまたまた出会った人たちなのに、
    何だか同志的な存在としてお互いを認識していた。
    自由に語る。そうなっても、しらけるどころか、あちらこちらで熱く語り合っていた。
    これがしたかったんだよなぁ。
    これがなじら家コンサートの目的なのだ。

    さて、ジャマイカ出身のALTの女性から、レゲエを歌ってもらった。
    音楽っていいねぇと、つくづく思った。
    英語は話せなくても、音楽で心が一つにつながるからだ。
    私は、憧れの人ととことん話すことができた。

    さて、時刻になったのでお開きとなったが、
    下の小上がりでまだまだ飲んでいる人たちがいた。
    本当に本日初めて出会った人たちばかりなのに、
    笑顔で語り合い、意気投合していた。
    そして、私は・・・。
    やろう会の残党たちが二次会でここに集結し、
    いつしか私もその輪の中に入っていた。

    これではやっぱり翌日の掲示板は書かれないはずなのだ。
    これがなじら家三日目の出来ごとなのだ。

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  • from: クマさんさん

    2010年11月20日 07時26分58秒

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    今夜Jazzこんさーと

    この掲示板を書けない朝は、たいてい二日酔いの朝だ。平日の飲み会はできるだけキャンセルしている私だが、飲まねばならない時もある。木曜日の夜は、本日のコン

    この掲示板を書けない朝は、たいてい二日酔いの朝だ。
    平日の飲み会はできるだけキャンセルしている私だが、
    飲まねばならない時もある。
    木曜日の夜は、本日のコンサートの出演者のデェビットさんをなじら家に迎えた。
    古町へ車で迎えに行き、6時になじら家に到着だった。

    ソプラノサックスと、フルートを鳴らした。
    いい響きだ。この至近距離での演奏会では、
    きっと聴く人の心に響く音となるだろう。
    それから下でインタビューをしながら飲み始めた。

    彼は28歳。メキシコ国。新潟市に住んで3年たっている。
    20歳の時からJAZZを始め、
    今では自分のバンドで新潟ジャズストリートに参加している。
    趣味でありながらも、音楽の腕前はその次元を遥かに越えている。

    そんな話を二合徳利を傾けながら聴いていた。
    すると、とにかくハイピッチでこの徳利が空になっていくのだった。
    彼は、今日本に絶滅危惧種となってしまった素直で、温かな心の好青年そのものだった。
    「ロンドンに居るお父さんのことを尊敬しています。」
    いろいろな話をしながら、相手を受け入れ、その価値を認め、
    自分の考えや意見をきちにと表明していた。
    いつしかtakiさんもカウンターに居て飲んでいた。

    すると、突然劇団のOさんが登場した。
    それからが大変だった。
    とにかく徳利のピッチは上がったままだった。
    一升近く飲んだのではないだろうか。
    デビッドは、大柄な体で、全然酒が回っていないようなのだ。
    ほんのちょっと打ち合わせのつもりが、久しぶりの本格的な飲み会となった。
    その頃、既に私の理性と言う心のブレーキは効かなくなっていた。

    デェビットが帰った後、Oさんが残り、徳利をジャンジャン注文した。
    彼の結婚話や、若い時の組合設立の話など、
    人に物語あり。確かに面白く、私は腹を抱えて笑っていた。
    そして、フト思った。ここはかっての「山小屋」みたいらなぁと。
    なじら家のカウンターで、若きジャズメンと飲み、親父仲間と飲み、人生の先輩と飲んでいる。
    一時の巡りあいでも、お互い本音で語り合っている。
    「対話」が生まれ、「物語」が語られる。
    それが、沼垂四つ角にあった「山小屋」のカウンターだった。

    看板まで二人で飲み、帰りはマスターのCさんと一緒に帰った。
    夜道をとぼとぼと歩きながら、お互いに夢を語った。
    「なじら家は、夢が叶う居酒屋である。」

    翌朝、私は全く使い物にならぬぼろぼろ状態だった。
    それでも行かねばならぬ。バスにした。
    バスが揺れるたびに、気分が悪くなってしまった。
    Oさんは、生きているだろうか。
    その後の消息を私は聞かない。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2010年11月18日 06時43分29秒

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    音楽畑を耕す

    土曜日になじら家でJAZZコンサートを開く。20名限定の小さなコンサートである。昨日、チケットが完売したという知らせが届いた。ありがたいことだと、ただ

    土曜日になじら家でJAZZコンサートを開く。
    20名限定の小さなコンサートである。
    昨日、チケットが完売したという知らせが届いた。
    ありがたいことだと、ただただ感謝だ。

    山の下からの文化・芸術の情報発信。
    山の下市場にクラッシックやJAZZが響いてもいいではないか。
    それがこのコンサートのコンセプトだ。
    毎月第三土曜日の午後6時からコンサートが開かれる。
    それをこれからは定例としたいと願っている。

    なじら家は、情報発信基地だけでなく、ネットワークの集積基地となる。
    このコンサートを機会に集まった人たちで、
    コンサート後は飲み会を行い、演奏者と共に親睦を深めていく。
    そんな目的も、このコンサートにはある。
    だから、2500円での飲み放題の設定ができるのだ。
    儲けは度外視の、店長による社会貢献である。

    しかし、こうして音楽畑の人たちとかかわりを求めていると、
    いろいろなことが分かって来た。
    まず、アマチュア・セミプロを含めて、
    新潟市で音楽活動をしている人たちの情報がまとまっていないということだ。
    それぞれが素晴らしい活動を展開しながら、
    横での個々のつながりがないようなのだ。
    だから、演奏者と出会うことには、とても苦労している。

    次に、この人たちは発表の場を求めているということもよく分かった。
    こうした小さなコンサートは、実はいろいろな場所で行われているのだった。
    私がそのことに興味を持たなかっために、知らないだけなのだ。
    音楽を楽しみ、音楽を聴いてもらうことに生き甲斐を感じている人は多いのだ。

    演奏したい人が居て、聴きたい人が居て、聴かせたい人が居る。
    この三つの立場のニーズをうまく連絡・調整し、
    その願いを実現することが、コーディネートすることなのだ。
    このことは、何でも通ずるのだと、自分が経験して思っている。
    「自治会」「親父の会」「PTA」「福祉」
    私がこれまで携わってきた活動は、みなこのコーディネートを求めていた。
    「つなげる人」その人がいてくれたら、何かは実現する。
    その会の活動が持続するかどうかは、その人の存在にかかっているのだった。

    さて、どうして私がコンサートのコーディネーターになってしまったのか。
    ある意味、そうなった場合は、私は粛々と、そして楽しんでその運命に従うことにしている。
    これから一年間、まず音楽畑を耕して、種をせっせと蒔くことにした。
    どんな収穫があるかは、一年後に評価したい。

    本日、なじら家にて演奏者との打ち合わせがある。

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  • from: クマさんさん

    2010年11月17日 06時03分25秒

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    一日一日

    急に寒くなった。朝、ジョギングするのも重装備だ。新潟の冬は、一日一日冬となる。秋は、あっと言う間に過ぎ去っていく。次男の中間テストが終わった。父として

    急に寒くなった。
    朝、ジョギングするのも重装備だ。
    新潟の冬は、一日一日冬となる。
    秋は、あっと言う間に過ぎ去っていく。

    次男の中間テストが終わった。
    父として「お助けコール」は何度か送った。
    「いらん。」とばかりに、いつもいつも拒否をされた。
    中学までなら何とか教えられるとまだ自負をしている。
    後は、次男がその気になってくれることだった。

    先日、書店に行き、次男のための参考書を買って来た。
    妻のクレジットにしたことはもちろんだ。
    「五教科のまとめ」「これだけ覚える英単語」「社会科のポイントはこれだ」
    もうこの時期に彼を救ってやれるのは、この手の参考書である。
    私立高校の入試問題が山積みされていた。
    普段なら気づかないが、今は切実な問題集である。
    思わず手にとって値段を見て絶句する親父だった。

    そんなこんなで今日もお呼びはないかと思っていた父に、
    とうとう「救急要請」がかかった。
    父は、嬉しく、気持ちを引き締め、次男の部屋に入った。
    「社会科を教えて。」つまり、「公民」をなんとかしてくれとの要請だった。
    その時点で午後9時を回っていた。
    「一時間で国会と内閣、地方自治の全てを教えます。」
    どこかの参考書のような状況となってしまった。
    「保健もまだある。」
    テスト前夜まで何をしていたのかとは、今更聞くだけ時間の無駄だった。

    テストに対する容量はなくとも、要領はよかった父である。
    特に社会科は私の研究分野だ。
    父の威厳をここで示すとばかりに、一気呵成に30ページ近くをまとめあけだ。
    父の「どやがお」を軽く受け流し、「保健を教えて。」
    この時点で11時を回っていた。
    「父と子との一夜漬け対策」こんな参考書ができそうだった。

    保健については、問題集を見て、要点をまとめて印刷をした。
    「3枚のプリントで合格だ」しかし、保健体育はいいことを教えていた。
    「生活習慣病」「薬物依存」そのまま使える内容ばかりだった。
    そのプリントを説明して、私が布団に入ったのが12時を越えていた。
    父として、変に充実感と達成感を感じていた。
    結果は、どうか。
    それは、問わないことにしている。

    彼が少しでも学ぶ楽しさや、勉強への興味・関心をもってくれたら、
    それで十分なのだ。
    「試験を受けるのは、彼自身なのだ。」
    冬が一日一日近づくように、彼と長男の受験も一日一日近づいている。

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    さけ

  • from: クマさんさん

    2010年11月16日 05時41分54秒

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    いつもの朝

    長男は、毎日起こされても起きてはこなかった。私たちは仕事のため、彼に声をかけて出勤する。それでも彼は一人で起きて、遅い朝食を食べてから予備校へ出かける

    長男は、毎日起こされても起きてはこなかった。
    私たちは仕事のため、彼に声をかけて出勤する。
    それでも彼は一人で起きて、遅い朝食を食べてから予備校へ出かける。

    次男は、学校での朝活動を頑張っている。
    そのために朝はぎりぎりまで起きては来ないが、
    時刻になると食卓につき、私たちと一緒に朝食を食べている。
    「頑張って。」の握手はまだ父と子とでは続いている。
    しかし、最近は次男が早目に登校するので、
    この貴重なコミュニケーションをやらないでしまうこともある。
    そんな時は、気づくと窓を開けて妻と二人、大きな声で声をかける。
    「いってらっしゃい。」「気をつけてなぁ。」
    次男は、表の木戸で私たちが声をかけるのを待っていることもある。

    妻の勤務先は、京ガ瀬だ。
    新潟市内から20キロ以上ある。
    冬場は阿賀野川を越えると雪が多くなるために、
    きっと7時前には出勤となるだろう。
    そうなると我が家の朝は、今以上にばらばらになると思う。

    私が出かける時は、父も母もまだ布団の中だった。
    「行ってきます。お願いします。」そう声をかけてから私は車で出かける。
    車庫での母の見送りは、あれ以来一度もなかった。
    朝食の時は、いつも台所に母が立っていた。
    私が降りて来るのを待って、さっと朝食が準備された。
    朝の台所では、父も居て、一緒に朝食を食べたものだった。
    しかし、それは今は昔の話となった。

    「行ってらっしゃい。」と笑顔で手を振ってくれた母。
    その声を聞けないことは、寂しいものだ。
    長男や次男も、そんな気持ちで私たちの見送りを感じてくれているだろうか。

    たった半年の出来事かもしれない。
    しかし、我が家にとってはある意味大きく変化した半年だった。
    日々を振り返りつつ生きる。
    日々を惜しみながら生きる。
    日々を切に祈りながら生きる。

    つつがなく、平凡な日々である。
    きっと今朝もいつもと同じ朝が繰り返される。
    それでいいのだ。それがいいのだ。
    それが家族なのだから。

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